・家族とは?
・家族の意味がわからない?
・家族って必要なの?
・家族の名言を知りたい
本記事では上記のようなお悩みにお答えします。
家族とは?時々ふと気になる本質的なテーマですよね。
特にしんどいことがあったり、うざいと思うことがあったり、辛いと思うことがあると家族って何のためにあるんだろう?と思ったりしますよね。
小学校から高校までは家族をテーマに作文やレポートを書くこともあったりするので、そういった機会に家族とは?を考えることがあるかもしれません。
ぜひこの機会に家族とは?を深く考えるきっかけになればと思います。
家族とは何か?(家族の定義)
家族とは?を考えるにあたり、家族の定義について調べてみました。
例えばWeblio辞書では以下のように定義されています。
家族(かぞく)とは、「《家》によってむすばれた繋がり・共同体」のことであり、一般的には「夫婦や親子その他の血縁」「同じ家に住み生活を共にする者」という意味合いまで含めて用いられる表現。英語のfamilyに相当する語彙。中国語でも「家族」という。
Weblio辞書
ちなみに「家族」に対応する英単語「family」はどのように定義しているでしょうか?
オックスフォード英語辞書(lexico.com)は「共同体として生活を共にする二親とその子供からなる集団」と定義しています。
Weblio辞書
A group of one or more parents and their children living together as a unit. 共同体として生活を共にする二親とその子供からなる集団
他にもgoo国語辞書では以下の通りです。
1 夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態。
goo国語辞書
2 民法旧規定において、戸主以外の家の構成員。
上記から考えるに当たって家族とは次の2点が定義としては重要です。
・血縁関係がある
・共同生活をしている
ただし、厳密に言えば「家族」と言えども、どちらかが欠けているケースはあります。
血縁関係が無くても共同生活をしている。夫婦という最小単位で見ると、血縁関係はありませんよね。
また血縁関係を持っていたとしても別居しているケースはあります。子どもも自立すれば自然と共に生活することはなくなります。
ただ、このどちらかが無ければ家族という定義からは外れるでしょう。
ではなぜ家族という言葉が生まれて、今も家族という存在があるのでしょうか?
それは家族が生きていくのに必要だったから、つまり役に立つ機能があったからに他なりません。
家族とは何か?家族の機能
それでは家族の機能とは何があるのでしょうか。
ウィキペディアを参考にわかりやすくまとめてみました。
名称 | 内容 |
生殖機能(増やす) | 子孫を残す |
保護機能(守る) | 外敵からメンバーを守る(とりわけ女性、乳幼児、病人) |
教育機能(育てる) | 子どもを育てるとともに、社会に適応した人格を形成する |
経済機能(食べる) | 共同単位として経済的生産を行う |
娯楽機能(楽しむ) | 家庭内で娯楽を楽しむ |
扶養機能(支える) | 老人介護、子供の面倒を見る機能 |
例えばですが、このような機能があるから家族は存在しているのだといえます。
要するに、生きていくために必要なのが家族というわけです。
しかし、現在は家族という機能が昔と同じように求められているわけではありません。
社会的な変化が家族に影響を与えています。こちらもWikipediaに載っているのを参考にまとめてみました。
名称 | 現在の変化 |
生殖機能(増やす) | 子供を持たないとの選択、同性結婚、LGBT |
保護機能(守る) | 警察、病院など |
教育機能(育てる) | 幼稚園、学校など |
経済機能(食べる) | 国の補助、支援機関など |
娯楽機能(楽しむ) | 遊園地、映画など |
扶養機能(助ける) | 介護施設、保育園など |
このように昔は家族がいなければ生きていけませんでしたが、現在では上記の変化により家族がなくても生きていけるようになっています。そのため家族とは?家族に意味があるの?などの疑問も生まれやすくなっているのだと思います。
確かに具体的にイメージしてみると当てはまります。
例えば子供の頃の教育においては幼稚園や学校に大部分が任されていますよね。
そのため朝から早々に幼稚園や学校などに向かって、先生や教師などにたくさんのことを教わります。そして夕方ごろに帰ってきます。
そういう意味では親から教わること以上に幼稚園や学校で教わることも多く、家族の教育機能自体は必要性が低下しているといえます。
他にも警察や病院があるからこそ守られていますし、家族で楽しむよりも友人と映画を見に行ったりカラオケに行ったりする方が楽しいと感じることも多いですよね。
そのため家族といるのがしんどいや、辛い、鬱陶しいなどの感情も昔以上に芽生えやすいと言えるのではないでしょうか。
逆に言えば昔は家族をないがしろにしてしまうと、生きていけなくなると言う恐怖感すら強かったのだと思います。だからこそ家族のために自分も貢献しなければという姿勢で向き合っていたといえます。
家族とは何か?家族の類型・パターン
それでは家族を類型化、パターン化すると、どのような分け方があるのでしょうか?
形態による類型、パターン
最も一般的にな分け方です。
学校で習いましたよね。言い回しがもう古くてピンと来ないですが…。
核家族 | ひと組の夫婦とその未婚の子供からなる家族。家族の基礎単位とされる。 |
拡大家族 | 親と、結婚した子供の家族などが同居する家族形態。拡張家族。 |
出自による類型、パターン
出自も最近は意識しませんが、性の名前を受け継いだり、財産を相続する際には相続割合などが影響してきますよね。
父系制(ふけいせい) | 父方の血筋による血縁集団を基礎とする社会形態や制度。主に次にような特徴を持つ。 ・父方の姓を受け継ぐ(父系出自) ・父方の地位を受け継ぐ(父系継承) ・父方の財産を相続する(父系相続) |
母系性(ぼけいせい) | 母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度。主に次のような特徴を持つ。 ・直系家族母方の血筋をたどる(母系出自) ・母方の財産を相続する(母系相続) ・結婚後も夫婦は別居、もしくは妻方(母方)の共同体に居住する(母方居住制) |
学者による類型、パターン
学者によっても様々な類型、パターンがあります。リヒターによる分類は病的な家族の捉え方ですが、少しドキッとしますよね。
小此木啓吾による家族
精神科医の小此木啓吾は家族の心的問題に焦点を当てて次のように類型化している(『家族のない家庭の時代』ちくま文庫 1992年)。
コンテナ家族 | 容量が大きく、社会のストレス、不満を持ち帰っても、それを受容し、癒してくれるような家族 |
ホテル家族 | みんながそれぞれにお客のつもりで、サービスされることだけを求め、他人のために汗を流そうとしない家族 |
リヒターによる病的な家族
ドイツの精神科医ホルスト・エバーハルト・リヒター(de:Horst-Eberhard Richter)はその著『病める家族―家族をめぐる神経症の症例と治療』(佑学社 1976年)において、患者の家族を以下のように類型化した。
劇場家族 | よい家族をお芝居のように演じている家族 |
要塞家族 | 自分たち以外はすべて敵とみなし、対抗することで絆を確認する家族 |
サナトリウム家族 | 互いに傷を舐めあうような家族 |
家族とは何か?家族との関わり方
家族との関わり方については様々な見解はあると思いますが主に3つあると考えています。
①極力関わらない
②協力し合う
③親密に関わる
①の極力関わらないは、家族を制度的なつながりのみに捉えた関わり方だといえます。
血の通った血縁関係、または一緒に住んでいる、それだけでしか家族を定義できないのであれば、極力関わらないという選択になるはずです。
または早めに自立して別居するなどが考えられます。
この辺は自分がそう思うと言う以外にも、家族から暴言や暴力などを受けたりなど家族そのものに問題があるケースは多いです。
②協力し合うは、家族を協力関係的なつながりのみに捉えた関わり方だといえます。
例えば食べるためにや、勉強していくために、最低限協力し合うイメージです。
どうしても家族と仲良くし合うことや、親密な関係を紡いでいくのがむずかしければ最低限の協力関係を維持するという選択になるはずです。
③親密に関わるは、家族を最優先に捉えた関わり方だといえます。
例えば犠牲を払ってでも家族のために尽くすや、自分以上に支援やサポートをするなどのイメージです。
家族と言う言葉があまり違和感に思わないようであれば、親密に関われている証なのかもしれません。
家族が必要であり、家族が大切であり、家族と共に生きていくことを選択しているからです。
ここまでは一般的な考え方としての3つの関わり方を例に出しました。
ここからは特に私の考え方ですが、家族とは?家族とどう関わっていくのが望ましいかについて私見を書かせていただきます。
家族とは何か?家族についての私見
私自身は家族を人間関係の最小単位と見ています。最小単位の組織と言っても良いのかもしれません。
そうとらえた際に家族とは「期待を裏切られても一生支え合える」関係と言えると思っています。
人間関係とは必ず期待があり、その関係において満足させることが求められます。
例えば同僚でも仕事においての期待があり、満足させられなければ、その会社に居続けることはできないでしょう。
そのためある関係には必ず期待があって、それを満足させれるかどうかが求められます。
ただ人間関係において唯一、その期待を満足させなくても一緒にいられる関係こそ家族と言えるのではないでしょうか。
主には血縁関係が影響しているものの、期待を何度裏切られても、助け合い、支え合うことが最も可能な関係である事は間違いありません。
普通の人間関係では、おそらくすぐに見限ってしまったり、離れてしまったり、諦めてしまう事は多いのではないでしょうか。
当たり前ですが、何度言ってもわからない、何度言っても同じ失敗をするなどを繰り返せば、さすがに向き合いきれなくなってしまいますよね。
しかし家族の場合、なんとかしようと、何度も助けるはずです。もちろん家族であっても途中で諦める事はあるでしょう。
ただ、確率論的には何度裏切られても、支え合うのが家族です。
私はこれをすごく縛られた関係ということもできますし、世界で最も愛のある関係という事もできると思っています。
正直家族だから一生支え合わなければならないと言いたいわけではありません。
難しい場合は離れた方が良いケースもありますので、無理は禁物です。
ただ家族のメリットを最大化するならば、何度裏切られても、一生支え合える人間関係は尊いです。なかなかあるものではありません。
だからこそ維持することは難しいのですが、家族という関係を持つと選択したならば、メリットを最大化すべく、世界で一番安心し、頼れる関係を築いていきたい。そう思っています。
おそらく最も大事なのは家族とは何か?を定義するのは自分だということです。
自分なりに家族とはなぜ必要なのか、自分にとってどんな意味があるのかを考えてみること。
そして自分なりの回答を出し、家族と向き合っていくことをお勧めします。
そうすれば単なる言葉としての家族ではない家族像や、結果として何かが得られるのかもしれません。
家族とは何か?家族の名言
それでは最後に家族にまつわる名言をまとめておきます。家族とは捉えにくいものであり、多様な家族の関係や、形があると思います。それらをとらえる上で、いくつかの名言を知っておくのは有効だと思っています。
家族を思って心和む人、胸の痛む人、それはちょうど半々だと私は考える。力を得る人、失う人、それも半々だと思う。親孝行、兄弟思いの美談は数限りなくあるが、それと同じ数だけ親殺し、兄弟殺しの話が「聖書」の昔からある。家族と言うものは、いつもこの半々の危うさの上に揺れながら、それも激しく揺れながら立っているものだ。
人間は自分の欲しいと思うものを求めて世間を歩きまわり、そして家庭に帰った時にそれを見出す。
子供の態度は家庭そのものです。その家庭を知りたかったら、子供を観察すればすぐわかります。
世の中がどんなに変化しても、人生は家族で始まり、家族で終わることに変わりはない。
人は決して仕事のために家族を犠牲にしてはならない。
・世界平和のために何ができるかですって?家へ帰って、あなたの家族を愛しなさい
・愛は家庭に住まうものなんですよ。子どもを愛し、家庭を愛していれば、何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ。
・家族の間に、もう少し多くの愛、一致、平和、そして幸せがあったなら、こんなに多くのアルコール依存症や、麻薬中毒患者は生まれなかったことでしょう。
子供に対する母親の愛情は、この世界で類を見ない。
幸福な家族はすべて同じようなものだ。不幸な家族は各々それなりに不幸である。
家族は私たちを導く羅針盤だ。それは偉大な高みに到達するための刺激であり、そしてときにはくじけてしまうときの癒しでもある。
家庭とは、人がありのままの自分を、示すことができる場所である
私を作りあげてくれたのは、母だった。母は私を理解し、性質が向いている方へ進ませてくれた。もし母が私を認めず、信じてくれなかったら、とても発明家にはなれなかっただろう。
近代に勝利したのは「個人」ではなく「家族」である。
家庭の問題を理解している女性なら、国家の課題も理解できるだろう。
家族は苗字ひゃ血縁だけで定義されるのではない。それは献身と愛によって定義される。
家庭生活において、愛は摩擦を和らげる油、より密接に結びつけるセメント、そして調和をもたらす音楽である。
家族とは、荒れ狂う人生の上におけるライフジャケットだ。
家族は私の強みであり、私の弱みでもある。
人を選ぶとき、家族を大切にしている人は間違いない。仁者に敵なし。私は人を使うときには、智恵の多い人より人情に厚い人を選んで採用している。
家族関係はいわゆるギブアンドテイクではなくギブアンドギブが基本です。
私が宇宙に行った当時、よく「ママさん宇宙飛行士」と呼ばれましたが、何でも1人でできるイメージのあるその言葉が、好きではありませんでした。家族など様々な人の協力があるからやっていけたわけです。
僕は基本的に家族はバラバラでいいと思っています。子供には関心を持っていれば良い。「誰かがいつもお前を見ている」と言うのは救いになる。
オハナは家族。つまり忘れられたり、置いてきぼりにされたりしないってこと。
君を見ると、感じるんだ。僕にも居場所があるってことを。
家族とは何か?感想まとめ
いかがだったでしょうか?
家族が居ることは、常に良いことばかりではありません。
ぶつかり合いますし、腹が立ちますし、諦めたくもなります。
ただ最後の名言にもあった通り、家族とは昔からそのようなものでもあったのかもしれません。
その上で人は家族に戻っていく。家族の繋がりを、愛を、人生の中でも重要なものとして捉える。
それは1つの心理なのかもしれません。
家族への関わり方はいつでも変えられます。家族と今は向き合いたくなければ離れることも必要かもしれません。
ただ、家族に対して愛情深く関わることもできます。
ぜひ短期的ではなく、中長期的に家族を捉え直して、自分なりの意味を見い出してくださいね。
その上で自分なりの関わり方を選択して頂ければ幸いです。